2020.4.1.を迎えて
2020年4月1日はいろんな意味で「特別な日」になりましたけれども。
18年前の今日、長男を「春日助産院」で出産しました。
先日、長男と共に助産婦・智子先生を訪ねました。
今春、大学進学する、そんな門出に。
自分のルーツを訪ねることができて、親子で感慨深いものがありました。
智子先生のお話を、長男はよくよく心に刻んだことでしょう。
本当にありがたい出会いです。
読んだことある方もいらっしゃると思いますが。
これをまた読むことで、私も基本に戻れる気がします。
先日、初めてうちを出て、寮生活になった長男。
今日は遠くから18歳のお誕生日、おめでとうございます。
でも、なんと、寮生活を共にする友人が同じ誕生日!!と、判明。
なんという巡り合わせ。
面白すぎる~。
おはようございます。とり組、岡田あさひの母の岡田洋子といいます。
今日はこのような機会を与えていただきありがとうございます。
今回私は「私が経験したお産について」お話したいと思います。
この会場には「岡田のこの手の話はもう聞き飽きた」と思ってらっしゃる方もチラホラいらっしゃるとは思いますが、今日の私は少しばかり違います。
よって今日は笑いは一切ありません。
・・・では、本題に入ります。
私には小学校一年生の娘さくらと、現在2歳9か月になる息子あさひの二人の子どもがいます。
上の子、さくらを妊娠して、自分なりに情報収集し、最終的には友人が勧めてくれた個人病院で出産することにしました。
いわゆる「自然分娩」でしたが、私のちょっと変わった体質のお陰で「陣痛促進剤」を使用してのお産になりました。
それでも私の中では「安産だったな~」と思いました。
それから数年後、宗像助産院の賀来先生のお話を聞く機会があり、自分の出産にちょっとした疑問を持ち、
尋ねてみると「あ~それは促進剤使わなくても、待ってれば自然に生まれてたね」とのことでした。
そしてそれからまた数年が経ち、第二子のあさひを妊娠することになります。
当時はさくらを妊娠した時とは全く違う環境でした。
すでにさくらはこのエミール保育園の年少さんで、私もさくらもどっぷりエミールに浸かっていました。
私も縁あってこちらの子育て支援の一環である「みどりの家」のスタッフとしてお手伝いも始めていて、
みどりの家の主宰である青子先生からモンテッソーリの妊娠出産の考えをよく聞かされていました。
その話の中でも「助産院」というキーワードは常に登場していましたが、私の中ではまだピンときてなくて、
でも前回の出産を振り返るとまた同じ病院で産むというのも違うような気がしていました。
それからまた、私なりに情報収集していくうちに、「お産シンポジウム」が行われることを知り出かけていきました。
そこで助産婦さんたちの熱い思いに触れ「春日助産院」にカウンセリングを受けに行くことになります。
この時点ではまだ「遠いしな~、とか、特異体質だから難しいだろうな~」とかネガティブなことばかり考えていました。
しかし、この「春日助産院」で、劇的な出会いが待っていました。副院長である、助産婦の智子先生との出会いです。
私が第一子の出産の経緯を話すとやはり智子先生も「それは促進剤は使わなくてよかったよね」とおっしゃられました。
それから一時間のカウンセリングの中で、心配なことを話していくと、智子先生は全てにきちんと答えてくださり、
話し終わった頃にはもうすっかり何の迷いも無く“智子先生にサポートしてもらってここで産もう!”と決めてました。
もうすでに妊娠6か月になっていたので、それから一ヶ月に一度の健診がとても楽しみでした。
一時間かけての健診は尿検査、血圧、体重など一通り行って、それから助産婦さんとゆっくり話をします。
食事のことや身体を動かす意味など、自分が自分と向き合うことの大切さを教わりました。
更に、出産への不安や家族の心配事などいろんな話をしました。
今思い起こすと、あの健診は智子先生や他の助産婦さんたちと信頼関係を築くための時間だったのだなぁ思います。
そして迎えた出産当日。
今回の出産では、一人目の時には味わえなかったことがいろいろと味わえました。
まず「自然な陣痛」。
夕方5:50頃最初の痛みが来てその10分後にまた痛くなり、そのまた10分後、
3度目の痛みが来た時には春日助産院に電話して、6:30頃には家を出ました。
1時間後の7:30に到着する頃にはすでに5分間隔の痛みがきており“これが本当の陣痛か~痛いけど嬉しいなぁ”と
七転八倒しながらも陣痛を味わっていました。
そして、到着するなり分娩室へ直行。
部屋の中央にあるローベッドに横になり内診。“ほとんど全開やね”と智子先生。
もう他の助産婦さんは帰っていて、部屋の中には夫と私と智子先生の3人。
でかいビーズクッションをうずたかく積んでもらい、そこにしがみつく体制で四つんばいになりました。
夫は智子先生から指示を受け一緒に準備をしている様子。
どれくらい時間が経ったのかもよくわからず、もうろうとしている中、
でも、確実におなかの中をでかい鉄の塊が腰からお尻のほうへ降りてきている感じがして、
腰が痛いな~と思って「ん~~っ」っと息みたくなると「クチを閉じたらイカンよ、ア~ッア~ッて声出して」と智子先生の声。
“ア~ア~”と自分の声に集中していたらいつの間にか“わ~~っ”と大きな声を出していて、それがもうなんとも気持ちよく、
最後はスゴイ叫び声になっていました。
野生に戻った、私は動物なんだな~としみじみ感じた瞬間です。
それから会陰のあたりが熱くてたまらなくなり、でかい鉄の塊がもういっぱいいっぱいはさまって張り裂けそうだな!と
思うのと同時にもう我慢できない、出したい~!!っと勝手に身体が息んだ瞬間、
その塊はドロッと出てきて、私はひざをついたまま智子先生からその塊を両手で受け取ると、それはそれは小さくてかわいいあさひくんでした。
そのままそのベッドにあお向けになり、あさひを胸に乗せました。
あさひは何度か小さい声で“おギャ~おギャ~”っと泣いて、後はまどろんでいるようでした。
あさひはタオルで頭や身体についた羊水を軽く拭いてもらい、そのまま私の上に乗っていました。
それからおっぱいを口に含んで、またまどろんでいました。
生まれてすぐ、夫とさくらが側にきてあさひを嬉しそうに見ていたのはうっすら覚えがありますが、
二人はあっという間に帰っていきました。
なんか少し寂しい気もしましたが、あさひと二人っきりになりたかったので、まあいいかと思い、
薄暗い明かりの下で、静かな時間の中を二人で抱き合っていました。
うとうとした中で、はっと我に返ると、とてもおなかがすいてることに気づきました。
するといいタイミングで智子先生がきて「おにぎりくらいしかないけど食べる?」と持ってきてくれました。
産後2時間が経過していて、トイレに行くよう促されましたが、自分でサッサと立ってトイレに行って排せつできることが驚きでした。
それから部屋を移動して、眠るあさひを眺めながらおにぎりを食べました。
今回のお産で絶対やりたかったことの一つは「産後、片時も離れることなくずっとあさひと一緒にいる」ことでした。
それはモンテッソーリの教えの中にもあることだったので、そうしたらいいんだろうな~と頭で考えていました。
でも、実際は、動物の本能が呼び覚まされ、「絶対誰にも近づけさせない、二人だけでいたい!」という気持ちがメラメラと湧き上がりました。
理屈ではなく、本能でそう感じていました。
幸い助産院では基本的に面会に来る人は家族に限られていて、家族であろうと短時間で、ということだったので、
夫とさくらと私の母も入院中に一度しか面会に来ませんでした。
本当に母子がゆっくりと誰にも邪魔されず守られて過ごせる大切な時間でした。
今度出産する機会があったら自宅出産もいいな~と思うのですが、あの助産院での5日間の二人だけの幸せな時間を思い出すと、
やっぱりまた助産院で産みたいな~と思ってしまいます。
こうして、3年前の出産を改めて振り返ってみると、あれから私はかなり変化したことに気づきます。
上の子、さくらを産んで育てたことだけでも、随分私も人間として成長させてもらったな、と感じていましたが、更に違う感情が出てきました。
「人は一人では生きていけないんだ」ということ。
私は多分、今まであまり人からのサポートに期待したこともなく、どちらかといえば一人でやっていくタイプでした。
しかし、今回の出産での智子先生の素晴らしいサポートのお陰で、本当に気持ちよく、開放的なお産ができ、心から感謝しています。
そうしてうまくサポートしてもらった私は、あさひが生まれようとしてくる瞬間に、どうにかうまくあさひをサポートできたように思います。
あれから助産院を通して、智子先生を始めいろんな方々と出会い、いろんな気づきが生まれました。
この年になって初めて「その考え方、生き様がカッコいい!あんな人になりたい!」というモデルとなる人があらわれました。
その出会いは今もずっと続いていて、実はずっと以前からかっこいい人は周りにいっぱいいたのかもしれませんが、
私が気づいてなかったのだ、ということにも気づきました。
人はそれぞれ何かに気づかされるきっかけやタイミングは違うと思いますが、
私の場合は、出産をキッカケに自分と向き合う、そうすることで人とも向き合うことができるようになったのだと思います。
人と繋がることが苦手だった私が今では
「人と繋がっていくこと、お互いがサポートし合っていくことが共に豊かになっていくことなんだな」と実感しています。
まだまだ修行の身、分かったようで分かってないところもたくさんあり、毎日、子どもたちに試されています。
それでも、気づいたことが幸せで、気づいたことからやっていけばいのだと、自分に言い聞かせています。
こんな未熟な私にでもまだ繋がっていてくれる人がいます。その人たちの気持ちを忘れず、日々精進していきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。