※「わたしのトッポンチーノ」物語①トッポンチーノに魅せられて

※「わたしのトッポンチーノ」物語②「わたしのトッポンチーノ」ができるまで 

↑ ↑ ↑
①~②はこちらをどうぞ!・・・その続きになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「わたしのトッポンチーノ」物語③

これからは「俺のトッポンチーノ」も広めます

懐かしい~。第一回目は7年前。その後も何度か「俺の~」開催しています!定着させていきたいです。

※第一回「俺のトッポンチーノ」に参加してくださった浅羽さんのブログ「能古島の歩き方」の記事をご参照ください!

――近頃、日本でも、遅ればせながら育児に興味をもつ男性が増えていますね。そういう方たちにトッポンチーノを広めていくお考えはありますか。

岡田:数年前、「俺のトッポンチーノ」という企画をしてみたんですよ(笑)。
ですが、浸透するところまではいきませんでした。
ワークショップすると関心のある人は来るんですが、継続して発信しないと流れが途切れてしまうんですよね。
「俺のトッポンチーノ」は今後の課題です。

――ワークショップでは、トッポンチーノのキットを岡田さんの指導で作るんですか。

岡田:そうですね。

――ミシンも使って?

岡田:縫うのはほとんどミシンです。
ワークショップでは使う材料は全部、カットしてあります。
自己紹介や私の説明の後、縫うだけです。
私自身、10代の頃から自分の洋服を作ったりはしていましたが、
専門的に技術を学んだわけではないので、ワークショップも最初の頃は試行錯誤でした。

 

☆参加者の方に教わったコツも取り入れて

岡田:周囲の人に聞いたり、ワークショップに参加頂いた年配の方が「もっとこうしたほうが早いわよ」と教えて下さったり。
中綿を入れるところでは、以前、お布団屋さんで働いていた参加者の方に、
「こういう風に入れると、きれいに入るんですよ」とプロのやり方を見せてもらいました。
「なるほど!」と思って、それ以降はその方法でやっています。

特にワークショップに来られる〝おばあちゃん世代〟の皆さんに教わることが多いですね。
タグの付け方も、最初はうまく付けられなかったんですが、大阪にワークショップに行ったとき、ミシンメーカーにお勤めの方に習いました。

――参加者の皆さんの知恵も入れて出来上がった「わたしのトッポンチーノ」なんですね。
この10年は、途中で「もう止めようか」とか、飽きたことはなかったですか。経済も下り坂の時期に当たっていたと思いますが……。

岡田:赤ちゃんのもの、というのは、やはり特別なものですので、景気にそう左右されなかった一面はあると思います。
「他の事は節約しても、赤ちゃんのことは削りたくない」というのが人情ではないでしょうか。

 

☆製品に関するクレームは10年間に1件もなし

岡田:話は変わりますが、この10年で唯一、私が自信を持っているのは、商品に関してのクレームが一件も来なかったことなんですよ。

――それはすごいですね!

岡田:一度だけクレームが来たのは、私が作っているのではないトッポンチーノを、
プレゼントにもらった方が勘違いして電話をかけてこられまして……中にまち針が入ってたんです。
話の詳細や商品のレースの感じなどから、「うちの商品ではないな」という確信はありましたが、謝って、商品を送り返してもらいました。
やっぱり違う方の製品でした。

――どうしてうちのものではないという確信が?

岡田:うちでは、まち針を使っていないからです。
熟練した縫子さんは、まち針を打たなくても縫えますし、うちの縫子さんは布を留めるときも、クリップを使用しています。その上、検針器もかけています。

――針を使っていないのに?

岡田:はい、そこまで注意を払っていますので、「うちの商品ではない」という自信はありましたが、現物を見て、違っていたので「よかった」と思いました。
「この商品はもらっていいですか」と言って、わたしのトッポンチーノを差し上げたんですよ。
とても喜んで下さいました。そのお母さんはお布団が汚れたので洗っていたら、中に入っていたまち針が指をちくっと刺したらしいです。

――赤ちゃんでなくてよかったですね。

岡田:本当ですよ。お母さんもただでさえ不安定な時期に、不愉快な目にあわれてお気の毒でした。
そのトッポンチーノを作った方もわかりましたが、すでに営業を止めておられます。

――赤ちゃんのものですから、細心の注意を払わなければなりませんね。

岡田:私は何でも、「起こったことはよいこと」として、自分を変えるきっかけにするタイプなんです。
それ以降は、ワークショップで使うまち針の本数をちゃんと数えることにしました。
製品を作るときは使わないんですが、ワークショップではまち針を使います。
参加者のみなさんには、「トッポンチーノの中に残っていたら大変なことになるので、まち針の数は必ず数えてください」と言うようにしています。
1本足りない、ということがあっても、たいてい床に落ちています。

――岡田さんの後発で、トッポンチーノのワークショップをしたり、販売をする人たちも出て来られていると前回、お聞きしましたが。

岡田:「自分もやってみたい」という方はいらっしゃいますし、私より大きな見地、たとえば、子育て支援の一環として、トッポンチーノを取り上げられた方もいらっしゃいました。
そう長くは続かず、途中で止められている方も多いですね。
いまでは、トッポンチーノがモンテッソーリ教育に基づいて世に出てきたものだということを知らずに、取り扱っている人も多いかもしれません。

――岡田さんはトッポンチーノ一筋ですね(笑)。

岡田:そうですね。トッポンチーノに関しては、我ながら「こんなに一生懸命な人は他にはいないんじゃないか」と思うほどですよ(笑)。

 

18年前の長男、生後5か月頃。青子先生としっかり見つめあってお話してますね。

 

生まれてすぐから(というかお腹の中から)みどりの家、1歳からは同じ敷地内のエミール保育園に入園。本当に環境に恵まれて育ちました。

 

☆お母さんは〝自分で良くなる力〟を秘めている

――トッポンチーノを長く続けるうえで、これは役に立ったなと感じることは何ですか。

岡田:エミール保育園の「みどりの家」には、スタッフとして7年ほどいました。
いま思えば、そのときの経験がとても役に立っています。
本当に沢山の親と子を見ましたから。
広場の理論的根拠である「みどりの家」は、フランスで1970年代に活躍された女性の精神分析医の方が提唱されたものです。
この広場では、スタッフはお母さんに「教えてはいけない」というルールがあるとお話ししましたね。
強制しない、強要しないと。こちらが教えなくても、お母さんって、自然に自分で良くなるんですよ。

――問題のあるお母さんたちも?

岡田:はい。「その言い方はひどいな」と思う声かけを子どもにしているお母さんもみどりの家には来られます。ネグレクトだなと思う人もいます。

――そういう人も来るんですね。

岡田:いや、そういう人にこそ来てほしいんです。
みどりの家は「虐待している人こそ来てほしい」と考えていますので、住所や連絡先を書かなくてもいいという方針です。
お子さんの下の名前と月齢と大体の住んでいる地域だけを記入してもらいます。

――特定を避けるためですね?

岡田:はい、これは広場が始まってからいままで変わりません。
気付いている人は少ないと思いますが、名前と住所を書かせないというのは、ものすごく大きな意味を持ちます。
そこに来ているうちに、虐待をしているようなお母さんであっても直るんです。自分で良くなります。

――具体的には?

岡田:そういう方とは逆に、モンテッソーリ教育とか特に知らなくても、「いい感じ」のお母さんがいるんですよ。
子どもに対する声かけや接し方が。
そういうお母さんを見ているうちに、問題のあるお母さんも、「ああ、ああいう風に言えばいいのかな」とわかってきて、自分で変わっていくんです。

――なるほど。教えなくても、自分で悟(さと)る。

岡田:そこが人ってすごいんですよね。
7年間に、そういう事例を数多く見ましたので、これは信じられるんです。お母さんは自分で良くなる力を秘めています。

――岡田さんご自身は、「いい感じ」のお母さんですか?

岡田:いえいえ、とんでもない。
いまでこそ、子どもたちも大きくなりましたが、小さい時は悩みもありましたし、自己評価が低いほうです。
なので、行き詰まったときは、一人で抱え込まずに、心配ごとを他のお母さんたちに話しました。
本当に言いふらすというぐらいに(笑)。
そうやって話をしていると、たいていは先輩のお母さんですが、誰かが教えてくれるんですね。
その言葉で難しい時期を乗り越えたり、やり過ごしたりできました。
困ったときは人に話してみる、そういう姿勢も大事かなと思います。

(次回に続く)

インタビュー・文 樋渡優子

PAGE TOP